精神疾患アラサーよしふでの失敗と黒歴史~まだやれる~

人生情緒不安定。何度もうつ病。アラサー経歴無しでも気にしない

【環境は大事】教育やメンタルに悪い影響を与えた家庭環境

人は家庭環境で人生が大きく左右される。愛情に溢れた家庭で育てば愛のある子に育つし、逆に虐待や、喧嘩ばかりで家庭を顧みないような親の元で育てば歪んだ心を持つ子に育つ。もちろん一概には言えないが、人格を形成する上で大きな要因になることは間違いない。

 

私が育ってきた家庭は、どちらかというとあまり健全な環境では無かったように思える。振り返ると、現在の私がこうなった理由がよくわかる。それでは、どのような家庭で育ったのか話していこうと思う。

 

私の家族は、父、母、兄、私の4人家族。一軒家に住む中流家庭といったところ。

 

先に家族の性格などの説明をしておく。

父(公務員)は酒もたばこもやらず真面目な性格。家事はほとんどせず休日は家にいるよりも地域の行事に積極的に参加していた。他の人からはやらわかい雰囲気で良い人と見られていたが、家庭内では自分の意見が絶対正しいというような内弁慶。家事は一切しない。

 

母(養護教諭)はおとなしい性格。仕事をしながら家事全般をこなしていた。休日は仕事の疲れからかいつも家でじっとしており、あまり活発に行動する人ではない。

 

兄(3つ上)は暗い性格、後に自閉症だったと知る。いつも1人で部屋に引きこもってゲームをしていた。私とは折り合いが悪く、ほとんど会話をした記憶はない。

 

ちなみに、私は少し明るめで好奇心旺盛。兄とは対照的で積極的に外で体を動かすような子供だった(中学生まで)。勉強は嫌い。診断結果は無いが、私も軽度の言語障害自閉症などに見られる症状はところどころあった。

 

と、性格の説明が終わったところで、私自身に良くなかったと思える家庭での出来事を話していこうと思う。

教育に無関心

 父母は教育にはあまり関心が無い方で、兄も私も習い事は1つもなかった。強いて言えば、小3の頃に私が希望して入った子供会の野球チームくらい。

 親はのびのび育てたかったからと言っていたが、のびのびの意味が違ったようにも思える。まず、何かをやらせてみて、それを子供がやるかどうかの選択を任せるというのがのびのびの意味として正しいんじゃないかと私は思う。まず、子供が知らない世界を教えてあげて、選択肢を与える。ただ単に、教育が面倒だったからという風に私は捉える。

 

親子間の会話はほとんど無し

家庭内の交流は少ない方だった。私は小学校の頃から居間にいる時はずっとテレビを見ているかゲームをしていた。夕食時は父母がたまに会話するくらいで、親と子、兄弟での会話はほとんど無かった。

この時、みな同じ空間にいるにも関わらず会話をしなかったため、家族が何を考えているのか全くわからなかった。

 

会話にならない

たまに父親と話すときはいつもお互いの意見が合わず、会話にならなかった。私の考えや気持ちは真っ向から否定され、すべて父親の意見を押し付けられた。また、真剣に嘘ばかりつくので人として信用できなくなった。

母親とは真面目な話をしていてもいつもヘラヘラと笑われ、こちらが嫌になり会話を途中で辞めてしまっていた。

思春期にある深刻な悩みなど、一切聞いてもらえなかった。それから私は話しても無駄だと思い、両親とまともな会話はしなくなった。

 

父親が無関心、母親が過干渉

何かと母親が口出しをしてくることが多かった。母親の近くを歩けば勉強をしろ。部屋にいても勉強しろ、将来はどうするのか?こうしろああしろ、頭が痛くなるほどとにかくしつこく言われた。このように、言われれば言われるほど心が反発していき、言われたことを遠ざけるようになった。

「あんた言われてもやらないよね」と言っておきながらそれでもしつこく言ってきた、まさに毒親といったところだ。

 

母親が問題を解決してきた

私の用事なのに、先に母親にやられてしまうといった話。少し説明しづらいのだが、例えば携帯電話の支払いなど。私の携帯電話の請求書が郵送で届き、母親から請求書が来ていると言われ、私は「明日支払いに行く」と言ったとする。すると、次の日には親が支払いを済ませてしまっているといったようなこと。

私の問題や用事であり、私だけで解決が可能なのに、先に母親が代わりに手続きをしてしまったり、用を済ませてしまっていたりする。もちろん母親には「自分でやるからいい」と何度も訴えてきたが、それは一向に聞き入れてもらえなかった。

 

兄と仲が悪かった

兄とは非常に仲が悪かった。私は小学校の頃から何かといじめられて泣いていた。中学に上がってからは、私がいない時にゲームを盗られたり愛用していたベースを壊されたりと間接的な嫌がらせをするようになった。私の部屋のドアがカッターで切り付けられ黒いスプレーで塗りつぶされたこともあった。たまに、部屋から大きな音がしたり奇声が聞こえてくることもあった。(後に兄が自閉症と知ってからこの行為に及んだ理由がわかった。)思春期で色々悩む時期と重なったということもあり、ノイローゼになった。どうしていいかわからず、自分の部屋で兄が静かになることだけをただ願っていた。

それと、喧嘩になるといつも兄は「弟を贔屓している」と親に訴えていた。たぶん、自分以上に弟が親に甘やかされていたのが気にくわなかったのだろう。自分とは対照的な人生(中学時代、兄は引きこもりで、私は運動ができて友達も多くいた)を送っている弟に嫉妬していたのだろう。兄の嫌がらせには私に対するとてつもない憎悪を感じていた。

兄は大学に進学し、一人暮らしを始めてからはだいぶ改善されて今では仕事もしている。たまに実家に帰ってきてもお互い話すことはないが、家族で墓参りや食事を一緒にするまでにはなった。

 

お菓子で空腹を満たすことが多かった

家のお菓子置き場には、いつもポテトチップスなどのスナックが置いてあった。親が買ってくるのだが、親が食べるわけではなく子供が食べるためだ。親はよく、腹が減ったら菓子を食えみたいなスタンスをとっていた。そのため、脳に障害がある私は脳にダメージを与えるような食生活をずっと送ってきた。

更にアトピー持ちだったので、肌を悪化させる行為でもある。口角炎(口角が切れて血が出たりする)がしょっちゅうできてたのも、腸内環境を悪くしていた事が大きな原因とも考えられる。

自ら積極的に体を蝕む行為をしていたと、今考えると恐ろしいことをしていたなと思う。

 

以上、とりあえず今思いつく大きなところをいくつかピックアップしてみた。細かいところをあげればまだまだあるが、一応こんなところで。

改めてみると、障害がある子供が更に悪化するような環境が整っていたなと実感する。私が文章を書くのが下手なのも、少なからず影響はしていると思う。(これくらいの記事でなんとか読める形にするまで8時間とかかかったりする)

 

小中学生の頃はいつも朝ご飯を食べず、遅刻ギリギリに学校に着いていた。学年で100人以上の生徒がいたが、この時間に登校する生徒は私一人だけだった。兄弟仲がすこぶる悪いのも知っている限りうちだけだった。

母親は周りの親から教育や家庭環境に関して、色々忠告を受けてきたみたいだ。その煽りを受けてか「周りの子はみんな普通にできているのに何であなたはできないの?」と、言ってくるようになった。私はその言葉がひどく苦痛で、普通の人に合わせようとしたがどうしてもできなくて、何もできない自分が嫌になりどんどんネガティブな性格になっていった。

まあ、悪い環境が整っていればこんな人間になってしまうのもしょうがないなとは思った。

 

けど、色んな人の経験や考えなどを知っていくうちに、こんなことはどうでもいいと思えるようになった。今までがどうであれ、これからの自分は変えていくことができるから。

 

確かに、他の人より遥かに劣っていると思っているけど、こんなんでも生きられるから大丈夫。なんとかなるよ。

 

明日もハレルヤ