【ほんとにそれ大事?】高校の選び方を失敗した話
多くの人にとって、人生で最初のターニングポイントになる高校受験。おそらく、ここで将来を大きく左右すると言っても過言ではないと思う。
もちろん、公立以外の小中学校、中高一貫校などに通っていた人は関係ないと思うが、ほとんどの人はそうだろう。
そんな高校選びという大事な選択を間違えた話。
念のために言っておくと、生命保険文化センターの情報では、2018年の中学校の総生徒数3,251,670人の内、公立校に通う生徒は2,983,705人。91.7%は公立中学出身。小・中学受験は年々増加しているので昔はもう少し公立の生徒の割合が高い。
自分でも読みたくないかったるい数字の話は終わりにして、話を進めよう。(本当は受験とか勉強という文字すらあんまり見たくない)
ちなみに、前置きと余談が多くて読みにくいのはご了承願う。
中学時代、成績は中の中。5段階評価で言えば3と4が半々で混ざるくらい。家で勉強はほとんどしてこなかったが、学校の授業だけである程度は事足りた。
部活は軟式野球部で、小3の頃に少年野球チームに入ってからスポーツはずっと野球だけをしてきた。
私は肩が強い方で、ポジションは主にピッチャーだった。上級生に代わって試合を任されることもあり、近隣の地区にも名が通るほどの実力はあった。そのため、小中のチームではずっとエースで通っていた。チームは特別に強いわけではないが、野球をするのは楽しかった。この野球という存在が、私にとって高校選びを間違える大きな要因になった。
私は野球一筋だったが、中1でギターを覚えてそっちも楽しくなってしまった。楽譜を見て、好きな曲のフレーズが弾けた時は嬉しくてテンションがあがった。
中2の時に同じ学年のやつと4人でバンドを組み、3年になったら学年のやつを客で呼んでライブをしようという話になった。ただ、楽器は音が大きいので中々練習できる場所がなく、廃校になった教室を借りて練習をしていた。
廃校は教室や体育館などを貸し出していて、予約をすれば誰でも利用できた。ただし、廃校は車じゃないと行けない距離にあり、頻繁には利用できない。車を出す親の都合もあり、月に1回くらいしか音合わせはできず、みんなで集まって演奏する時間は貴重だった。そのため、部活と重なるときはバンドの練習を優先していた。
たまたま、廃校の予約と部活の練習試合が重なる日があった。その日は途中まで試合に出て、そこからバンドの練習に行った。練習試合とはいえエースが途中で抜け出すのはコーチやチームメイトにとってもあまり快くないものだ。試合を抜ける挨拶をした時に見たコーチの苦い表情は今でも覚えている。
そして、結局途中でバンドを辞退した。部活を抜けておきながら、バンドも辞めるという自分勝手なことをした。
やっぱり、昔からやってきた仲間と野球がしたいと都合のいい理由をあげた。だが、本音はただみんなに嫌われたくないだけだった。
ここで、実は自分が野球にそこまでの情熱がないということに気付くべきだった。
野球をするのは楽しかった。でも、練習は基本的にあまり好きじゃなかった。
熱心に練習に取り組んだり、家に帰ってからも自主練習をした。だが、これは周りの仲間が頑張っていたから合わせていただけ。
自分だけ適当に練習していたら、周りから白い目で見られる。一生懸命な姿を見せれば、みんなも受け入れてくれるだろうと考えて練習した。
もちろん、もっと速い球が投げたい、打球をもっと遠くまで飛ばしたいという気持ちもあるが、それよりは人に悪く見られたくない気持ちの方が強かった。
人に合わせる性格のためか、表面上仲の良い友達はいたが、本音が言い合えるような心が通じ合う友達はいなかった。自信が無くて、考えや感情を表に出して否定されるのが怖かった。実際、大人数で遊んでいると自分一人だけ毛色が違うような疎外感をいつも感じていた。
性格は微妙だけどチームの柱だから付き合っている、その時の友達付き合い振り返ると、たぶんみんなこう思っていたんだろうなと思う。
このように、私は自主性のない他人に合わせてばかりの意志の弱い人間だった。そして、かろうじて周りとの友好が保てていられたのは、エースという肩書きのみのおかげだった。
人の目を気にして行動がブレた結果、野球もギターも中途半端な情熱しか注げられなかった。
ここで、中3の時の高校選びの話になる。
私はこの時、悪い意味で野球の事しか頭になかった。
主にレギュラーを務めていた友達は、高校に行ったら野球部に入ると言っていた。当然、私も野球部に入ると言った。
この時、自分の学力で行けるとにかく野球の強い私立高校に行こうと決めた。私立を選んだのは、公立より設備が整っていて強い志を持った部員と質の高い野球ができると思ったからだ。(失礼な話だ)
「俺は野球が好き、野球で成功するんだ!」こうして自分や周りに言い聞かせていた。だが本当のところは(他のやつより気合がある、やる気があるやつだと思われて認めてもらえる)野球で成功することとは関係ないところの感情が強かった。でも、その時私は舞い上がっていて自分の本当の気持ちに気付かなかった。
私は意気込んだ。だがこの感情とは裏腹に、周りの仲間は野球の強さにこだわらず自分に合った高校に進学していった。結局、私一人だけが空回りしていた。
この結果、入学した高校の野球部の満ち溢れた熱量と、私の勘違いで生まれた熱量の差で日々の練習に心が疲弊していった。私より早い球を投げるやつ、パワーのあるやつ、足が速いやつ、体格に恵まれている奴。自分より才能のあるやつらを目の当たりにして、私がここで華を咲かせるのは無理かもしれないと心が折れた。
それでも頑張ろうと自主練習もした。だが、練習するばかりで体のケアをおろそかにした結果、腰を痛めて運動が困難になった。才能のない私が練習ができなくなったことによって、チームメイトとの力の差はどんどん開いていった。
ここで、私が野球で何かを成し遂げるのは無理だと察して、一気に熱が冷めてしまい、腰痛を理由にわずか2ヶ月で退部をした。
私は内心ホッとした。やっとこの嫌な環境から抜け出せる。ここでようやく、自分の野球に対する情熱はそこまでじゃなかったことに気づいた。
どこの高校を受験するか考えていた時、親には公立で十分だと言われたが、私はとにかく野球だと言って話を聞かなかった。親はおそらく、私の性格と偽りの熱量を感じ取って無理に野球にこだわるなと言いたかったんだろう。
私から野球が無くなってしまえば、私立に通う意味もない。公立に行っていれば無駄な授業料を払うこともなかった。
野球をやめてまた新しいことを探せば良かったのだが、自分から探す力もなく、誰にも頼れず、どんどん腐っていった。
中3の頃の話に戻るが、小学校から野球をやっていた仲間5人で同じ塾に通っていた。当然、私は誘われた側。仲間外れになりたくないのと、夜に中学生だけで出かけるのが楽しそうだという不純な理由で参加した。
そのうちの1人がW大付属高校に受かり、結局自分でできる意思の強いやつが結果を出すんだと思い自分との差を感じた。私が入った高校を受験した人は全入で、勉強ができなくても誰でも入れたため塾に行く必要などなかった。
この時、まず周りの人の意見などは全て忘れて、いったん冷静になっていればよかった。そして、自分の正直な気持ちを聞く。
自分なら何ができるか、どうしたいかを考えていることができたら、野球にこだわらず高校選びも失敗しなかったのではなかろうかと思う。
まあ、そうはいっても選択を間違えるなんてことは人生においてしょっちゅうあることだし、やってみないと失敗かどうかも分からないからそこまで気にする必要もないってことで。
まあ、強い意志がある人ならどこの高校に行ってもうまくやれる。ただ、私の精神が弱かっただけ。
明日もハレルヤ