精神疾患アラサーよしふでの失敗と黒歴史~まだやれる~

人生情緒不安定。何度もうつ病。アラサー経歴無しでも気にしない

アルバイトを辞めてから個人で稼ごうと決めるまでの半年間

2018年の5月中旬に7ヶ月やっていたライターのアルバイト辞め、個人で稼ごうと決めるまでの半年間(同年11月まで)の出来事。

 

まず仕事を辞めた日のことから。

先に仕事の概要から説明すると、平日9~18時までの土日祝休み。内容はライティング(ネットによくあるようなお役立ちサイトの記事、アレの記事をひたすら書くこと)。小さい会社で職場は私を含め4人しかいない。週一で社長が来るときは5人。そこでひたすらパソコンに向かって文字を打ち込んでいくといった感じだ。文字を書くことが苦手&未経験な私でも、修正をもらいながらある程度形にはできた。

その仕事を辞めた理由は前にも言った通りうつとストレス。

 

辞めた日のことは今でもはっきり覚えている。

昼休憩が終わったあと、記事を書こうと思ってパソコンに向かったが、突然手が動かなくなった。正確には思考が完全に停止して、頭の中に言葉が何一つ思い浮かばなくなり文章が書けなくなった。

たぶん、自身が許容できるストレスの限界に達したから。そこで、生命維持の為に脳がもうこれ以上はやめろと命令し、活動が停止したのだと思う。

毎日「死にたい」と思い続けるほどストレスを溜めていたため、自分でもいつかこうなることはなんとなく予想できていた。ここいらが潮時、そう判断してすぐに上司に「文章を書こうにも手が動かないんです。何も言葉が思いつきません」と正直に告げた。上司は「遂にか」といった感じで納得してくれた。実はこの少し前に、仕事の悩みで上司に何度か相談していたこともあって、すぐにこの状況を察してくれた。もう限界なんだなと。

そして、社長もこのことを知っていたため、話し合いをするまでもなくすんなり退社の方向で話は進んだ。以前、社長も1~2年うつだった経験があると話してくれたことがある。休養という手もあるがまた同じことの繰り返しになる。そのため、辞めるのが1番だろうと理解を示してくれた。

 

そこからすぐにデスク周りと残りの作業やデータの片付けをした。取り掛かろうとした記事はまだ白紙で、残りは別の人が書くということで引継ぎ作業はすぐに終わった。

そこで別れの挨拶をし 、私は突然にこの会社を去った。手が動かなくなってから数十分間の出来事である。

うつやストレスの元になった会社ではあるが、このイレギュラーな状況を受け入れてくれたことには今も感謝している。 

 

ここから、半年間にしたことの話がはじまる。

 

会社を辞めたこの時、まだ昼過ぎ。会社の建物と道路を足が跨いだ瞬間、この数ヶ月間の疲れが一気に吹き飛ぶような解放感があった。

ストレスの元凶から解き放たれたこと。「平日の昼から遊べる!」と、働いている間には絶対に味わえなかった時間帯から自由に行動できること。いつも人が多くてうんざりしていた帰り際の静けさ。ポジティブな非日常が重なり、さっきまでの事が嘘のように心が躍った。

 

そこから他の事には目もくれず、真っ先に地元の行き慣れたパチンコ屋に行った。

昔からパチスロが好きだったため、すぐに好きなことをしようと思いついたのがこれだった。

 

平日の昼というだけあって席はまばらで、たくさんの空き台がある。せっかく自由になったのだから好きな台を打っても良かったが、パチスロは手当たり次第に打つとほとんど負ける。パチスロは台ごとにデータ機がついており、それを見て台の良し悪し(当たりやすいか)をある程度推測することができる。

やっぱり打つからには勝ちたい。とりあえず調子が良さそうな台が無いか見て回った。それと同時に、ある人がいないかも探した。

店内を回っていると、その人はいた。身長173センチくらい少し垂れ目で細身。肩にかからないくらいの手入れをしていない黒髪。幾度となく見た暗めな色のパーカーとカーゴパンツ。私より2歳年上で、大学時代にパチスロを覚え、大学院を出てからも就職はせずにずっとそれだけで生活費を稼いできた人だ(仮でNさんとしておく)。昔からNさんは2、3日に1回はパチンコ屋に来ているため、この日もいると思っていた。Nさんと話すようになったのは、たまにパチスロをする友人とNさんが知り合いでその流れからだ。

 

働いていた間は、低レートで安く遊べる別のパチンコ屋にしか行かなかった。そのため、この店に来たのもNさんと会うのも7ヶ月ぶりだった。顔を合わせたNさんから「久しぶりー、どうしたの?」と、少し驚いたような顔をしながらとりあえずの挨拶を受けた。積もる話もあるだろうと、騒がしい店内を出て近況報告といって外で立ち話をした。

私は会社を辞めたことを伝え、Nさんは最近の店の状況などを教えてくれた。

 

私はライターのアルバイトをする前に、Nさんと1~2年ほど一緒になってパチスロで稼いでいたことがあった。稼いでいたと言っても私のは月数万円の小遣い程度。Nさんはパチスロの知識がある上に頭の回転が早く、常に沈着冷静な判断ができる人で安定して毎月20万円以上のプラス収支を出していた。パチスロに関しては凄いなと思う部分はあるが、Nさんは打つ台が無いと、打っている私にちょっかいをかけてくるちょっと嫌なところもあった。

 

結局この日は良さそうな打てる台が無かったため、少しだけパチンコを打って帰った。

そして、自由な時間を手に入れた私は堰を切ったようにパチンコ屋に通い詰めた。行けばNさんと会い、打ち終われば帰りに食事に行ってその日の収支とか反省会をした。そしてまた別の日も行きNさんと反省会。そのまた別の日も。

こうして再び、Nさんと一緒にパチンコ屋を徘徊する日々が始まった。

 

 だが、結局この半年間で30万円程のプラスにしかならなかった。月収にしたら5万円程度。Nさんは相変わらず安定した収支を出していた。私は遊び心が抜けておらず、危ない台に手を出したり、悪い台を変に粘って打って負けることが多かったため収支があがらなかった。

 

 自分にはパチスロで稼ぐのは向いてないと思った。

辞めようと思った理由は色々あるが、特に大きかったのが収支の波が激しすぎて心が疲弊したためだった。

アプリで収支はつけていたが既に消してしまったため、正確な額かは自信はないが、確か1週間で27万負け、その次の週に28万円ほど勝ったと記憶している。プラスにはなったものの、1日に8万、9万、8万と大きな額で3連敗した。しかも、開店から閉店まで10時間以上店にいて体力も奪われている。体も疲れ金も無くなるわでめちゃくちゃに落ち込んだ。そして、次の週に大きな勝ちが3回あってプラス28万円。2週間でなんとか計プラス1万円にはすることができた。

この時、お金が取り戻せて嬉しい気持ちはあったが「疲れた…。」という気持ちの方が大きかった。心の乱高下、高低差があり過ぎて耳k(略)、みたいにこんなのを繰り返していたら精神崩壊すると思ってパチスロが嫌になった。

このおかげで、パチスロ以外で稼ぐ方法を模索し始めた。その結果、WEBで稼ぐことに決めた。家にあるデスクトップPCとは別に、仕事用にと安いノートパソコンを注文した(届いたのは1月上旬)。仕事用と分けたのは、デスクトップには過去に貯め込んだ画像やゲームなど誘惑するものがたくさん入っていて作業に集中できなくなると思ったからだ。全部消せばいいと思うが、そんな勇気はない。

 

これが仕事を辞めた5月から11月までの出来事だ。

 

それからは一切パチンコ屋には行ってない。ちなみに、ノートパソコンが届くまでの2ヶ月間、一日中ずっとゲームや動画などを見て自堕落な生活を送った。WEBの勉強をすればいいものの、結局その間もパチスロをやっている時と同じようなダメ人間ぶりを発揮していた。

こんなことがあっても、変われるのかどうか。

 

明日もハレルヤ